Peace

なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか (講談社現代新書)「観察映画」を標榜する想田和弘監督の最新作は、介護サービスに目を向けている。
「観察映画」はいわゆるドキュメンタリーに属すものであるが、撮影に臨むスタイルや思想はまるで異なる。すなわち「事前のリサーチや台本を排し、ナレーションや音楽を使わない*1」というもので、まさにそこで起こっている現実をそのまま提示することをなによりも重要視する。事前に設定したテーマに沿った映像を切り出そうとし*2、さらにそこに過剰なタグ付け*3を施し、予定調和の流れと結末を用意する多くのドキュメンタリーとは、まったく正反対のスタイルである。
鑑賞者はスクリーンに淡々と展開する映像から、自らの想像力を駆使して「何が起きているか」「何が問題なのか」を全力で考えるしかない。たとえばこの映画で再三登場する猫社会がそのまま人間社会の喩となっているのかどうかは、鑑賞者一人一人が考えるべきことである。
しかし、現実を生きるというのは、まさにこの「観察映画」の目を持つということではあるまいかと気付かされるのである。人の生にはナレーションもBGMもなく、もちろん台本なども存在しない。時々の状況を読み取り、適切に現実を把握し、行動する。「観察映画」はそうした「生きる」という営みをそのまま映画の視点として持ち込んだ。
「介護サービス」という、必ずしも取っつきやすい事象ではないものを、これだけの娯楽作品(=知的営為)としてまとめあげるのは、並大抵のことではないと思う。デビュー作「選挙」、第2作「精神」とともに、「自称ドキュメンタリー」に赤っ恥をかかせる破壊力を持った佳作であろう。
なお想田監督の考え方そのものは近刊の『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか (講談社現代新書)』に詳しい。ついて見られたい。渋谷・イメージフォーラムで鑑賞。

*1:「Peace」パンフレットより

*2:ためにヤラセが横行する

*3:ナレーション・音楽・字幕