挑戦と自己満足の境

「挑戦」というのは、失うものがあってもあえて挑むことではなかったのか。何も失うものがない場合は「挑戦」とは言えず、それは単なる「自己満足」ではないかと思うのだ。某4回転ジャンパーがしきりに「五輪で挑戦できてよかった」と言っているのを聞いて、ふとそんなことを思った。メダルが狙える位置にいても、同じように「挑戦」したのかどうか。まぁそんなことは誰もわからないし、気にもしていないだろうけど。順位とは関係ないところで気楽に「挑戦」するのなら、すべてのジャンプを4回転にすればよかったのに。
最終回2アウトランナーなし、10対0で負けているチームの打者がホームランだけ狙って打席に入ったものの、結局三振してゲームセット。それに似たものを感じる。