それでもボクはやってない

morio01012007-02-01

混んだ電車では両手で吊革につかまるようにしている小心者です。
痴漢犯人に間違われた若者の、事件発生から逮捕、勾留、裁判、判決までの一年間を描く。ここには躍起になって窮地を救おうとする正義漢*1も、極悪非道の悪人もいない。どの人もいつものように生活をし、いつものような仕事をしているだけなのに、様々な価値観を背景に持つ判断や心情、行動が積み重なるうちに、なぜか決定的に真実から遠いところへ運ばれてしまう悲劇が生み出されてしまう。無実と無罪は違うのだ。
周防は痴漢冤罪の被害者のドラマを描こうとしたのではなく、どうして冤罪という酷いことが日本の裁判というシステムで起きてしまうのか、そこにこそこの映画の眼目があるという。しかし、映画はヒステリックにその悪弊を糾弾するようなことはせず、あくまでも良質の謎解きを見せるミステリーのごときまっとうな娯楽作品として成立している。2時間23分はあっという間に過ぎ去った。
時空間を自在に移動する視点の作り方が実に巧みである。人の視線というものを強く感じさせる。具体的な場面をここに書くのは控えることにするが、時には俯瞰し、時には心内に滑り込むさまは、あたかも古代の物語の物の怪のようでもある。その見せ方の効果的で刺激的なことといったら。よく考えられているなと唸らされた。人物造形、物語の展開もよく練られている。傍聴人の扱い方一つで裁判官の人柄の違いを鮮やかに描き分けるところや、痴漢被害者である中学生の法廷での証言の聞かせ方見せ方、やっと現れた唯一の目撃者(主人公のみならず観客側も大いに期待する)の頼りなさなど、要所要所で物語の流れを領導する印象的かつ効果的なエピソードが散りばめられていた。
真実を知る唯一の存在である自己は、たとえるならば神である。その神が真実を知らない人によって裁かれる皮肉。求められているのは真実ではなく、正しそうなことだとすれば、それは日本の裁判に限らず、今の世界を覆っている問題にも容易につながることであろう。
ワーナーマイカルシネマズ新百合ヶ丘で鑑賞。
公式サイト http://www.soreboku.jp/index.html

*1:家族、友人は正義じゃなく身内