めがね

morio01012007-09-30

肌寒い雨に打たれながら休日出勤する9月最後の日曜日。やらなきゃ先がないのでしっかり働きますとも。帰り道、前日に夏からの荷物を一つ下ろしたので、映画でも見るかと新百合ヶ丘で途中下車した。先週末から始まっている「めがね」を選ぶ。前作の「かもめ食堂」で大ヒットを飛ばした荻上直子監督の新作である。舞台は北欧フィンランドから与論島*1へ。
スクリーンの中の人たちは心地よさそうだったが、スクリーンのこちらの私はとても居心地が悪かった。緩めの空気感で満たされているのは「かもめ食堂」と同じであり、そこに登場する人々の気配や佇まいも似たようなものを感じた。しかし、この落ち着かなさはなんなのだろう。しばし考えて、はたと思い至った。
  一つの価値観を押しつけられている。
かもめ食堂」では「やりたくないことはやらない」「やりたくないけれどやらなければならないことをやってきた」「やってきたことにくじけてしまった」など多様な価値観や生き方を大きく包みこんで、「どれもあり」という見せ方をしていた。言わばこの「否定のなさ」「おしつけのなさ」こそが最大の魅力であった。ところが、「めがね」では「スローに生きなきゃ駄目」「人生にはたそがれが必要」という絶対的なお題目があって、皆がその方向に向かわされている。しかもそれを観客にも強いてくる。これはつらいぞ。
タエコ(小林聡美)が次第に島の人々のペースに巻き込まれていくというその流れこそが、自由を許さないものであり、息苦しさを感じさせていると思われる。もたいまさこ演じる謎の女性サクラの作るかき氷や主宰するメルシー体操がじわじわとタエコを浸食するあたり、新興宗教に冒される悲劇と読み替えるのは穿ちすぎだろうか。朝、目覚めた時に知らない人が枕元に座っているような「自由で開かれた生活」、タエコではないが、「……無理」である。桃源郷は人それぞれにあるのだ。
劇中に再三登場するマンドリンは弾いてみたくなった。パンフレットは凝った造りになっている。写真は高橋ヨーコが担当する。そう*2蒼井優の写真集の人だ。ワーナーマイカルシネマズ新百合ヶ丘で鑑賞。

*1:学生の頃に行ったなぁと遠い目に……

*2:誰も知りません!