ペルセポリス

ペルセポリスI イランの少女マルジ「大きくなったね。もうじき神様のタマタマに手が届くよ」 ばあちゃん、冴えてます。
日本が高度経済成長だ五輪だ万博だバブルだと儚い夢に沸き返っている頃、遠く中東では本物の戦争や権力争いが行われていた。それも当の国民が脇に追いやられるような形で。新しい体制は無自覚な人々の精神と生活のありようを確実に支配し、世の中は徐々に住みにくくなっていく。あ、これは今のこの国も同じかも。
少女の祖父は王家の血を引く王子であり、コミュニストであった。しかし、それはすでに終わってしまったことで、現代に生きる少女の人生にひとまず何の影響も及ぼさない。彼女は「公明正大」「自由」そして「祖国」を愛する祖母や両親たちの教えにしたがって、のびやかに育っていった。もっとも彼女の「自由」にはもれなく「奔放」ということばもついてまわるのであるが、これこそがこのアニメの主人公にして監督であるマルジャン・サトラビの行動原理の本質であると言えよう。後先を考えない奔放さによって、中東の一国家の歴史の側面が確実に照らし出されている。
モダンでアヴァンギャルドな家庭に育ったマルジは己の信念を貫くものの、世の中を変えてやろうというような野望までは持ちあわせていない。どちらかといえば無軌道無節操な個人主義者である。彼女はイラクジャンヌ・ダルクではない。しかし、国家の正義に反抗的な惚け者の思考や行動は、結果的にイランやこの国を取り巻く当時の世界情勢を相対化することにつながっている。もちろんそれはマルジが巨大なものと対峙できるだけの恵まれた境遇にあったからこそであろうが、我々は好き勝手に振る舞うマルジ(またはマルジ一家)の言動に接するにつけ、当時のイランがいかに閉塞感に満ちていたかをうかがい知ることができるのであった。
フロイライン リボルテック 003 惣流・アスカ・ラングレー金持ちわがまま娘の気侭な青春の記録として観るもよし、イランという国家の悲喜劇として観るもよし。深読みや多面的な読みを許す懐の深さがある。巨大なものに静かに押しつぶされていった有名無名の人々の悲嘆や怨嗟,糾弾の声をも響かせている良作アニメであった。苦みがよい。白黒画面が鮮烈なインパクトを与えてくれる。なお映画の原作となった漫画は、より多くのエピソードを収めている。ついて見られたい。
ペルセポリス公式サイト http://persepolis-movie.jp/
3月1日はこれの発売日。