東京の風景

morio01012008-05-06

東京のどこの風景を見ても、テレビの中の世界に紛れ込んだような心持ちがしていけない。いまだに異邦人気分の抜けない私には、生活に根ざした確固たる実感や印象がなく、メディアの語る姿に踊らされるばかりである。
そんなことを思ったのは、今日、大阪の書店で購った「東京人*1」の最新号が「東京100景」という特集を組んでいたからである。ここに掲載されるいくつかの風景は我が目で確かに見たことがある。しかし、自らの審美眼(というほどのものがあるかどうかは定かではない)で選び取ったわけではないので、美しさとは別にやっぱりどこか他人行儀である。
2月から住み始めた世田谷周辺は、既視感を覚えるほど、生まれ育った場所とよく似ている。それは街並みといった外見もさることながら、街全体の空気感や人の気配のありようという感覚的な側面から来るものが大きい。またそこを走る世田谷線は存在そのものが愛しく感じられる。
はからずも荒木経惟吉増剛造の対談に「風景は情が入って景色になる」とあるけれど、確かにそうだとうなづくしかない。私にとって世田谷は、東京で唯一風景ではなく景色になっている場所であろう*2。客観的な風景が主観的な景色になる瞬間がきっとあるのはわかっている。問題はそれがいつどこで起こるのかである。まずはもっと動かないとね。寺山修司に従って書を捨てて。

*1:http://www.toshishuppan.co.jp/tokyojin.html

*2:3年過ごした鶴川はそうならなかった