映像と音楽の幸せな関係

morio01012007-03-07

昨日アマゾンから届いた椎名林檎斎藤ネコ平成風俗」を繰り返し聴いている。けばけばしくて派手かと思えば、時に気怠く揺蕩う、まさにjazzyな味わいで貫かれたアルバムである。詞は日本語・英語に加えフランス語でもものされる。
ここに収められる楽曲は公開中の映画「さくらん」蜷川実花監督)の劇中歌として使用される。ここまで灰汁が強いと、はたして映画の伴奏としてうまく機能するのかという疑問もあるかもしれない。確かに椎名の音楽は一般的な映画音楽のあり方からはずいぶん遠いところにある。そもそもこのアルバムのどこにも映画のサウンドトラックであることは書かれていない。
伴奏音楽はあくまで主役たる映像もしくは物語に静かに寄り添うものであり、強制的に物語を領導したりよけいな解釈を押しつけたりしないものである、などという考え方はなるほど「正論」であろう。ところが、この命題をそうでなければならない「正義」として神格化してしまうと、それは硬直した固定観念からの一面的なものの見方でしかなくなる。もちろん私とてこうした考え方から逃れられず、工夫のない映画、ドラマの五月蠅すぎる伴奏に苛立たされることもしばしばである。しかし、この映画における椎名林檎の音楽はミスマッチどころか、「さくらん」という豪華絢爛で幻想的な世界観をあますところなく表現してやまない。
およそ歌詞付きの楽曲(しかも椎名林檎)を伴奏として採用した時点で、蜷川実花は控えめなサウンドトラックという「王道」などすっかり忘れていたのではないか。単なるBGMには収まらない、まさに映像や物語と力勝負を演じる対等な構成員としての音楽。思い浮かべるべきはミュージカルまたはオペラであろう。絵と音楽は不即不離の関係でお互いを高め合いながら存在する。そうした幸せな関係を「さくらん」と「平成風俗」の間には感じるのである。
春らしく菜の花としらすのペペロンチーノを食べる。『ひとり日和』(青山七恵)の主人公に聞かれたらぶっ飛ばされるに違いない*1

平成風俗

平成風俗

*1:花見がどうだとか、ふきのとうや菜の花や新たまねぎがおいしい、なんて聞くと、浮かれるなと怒鳴りたくなる。自分はそんなものには踊らされない、と無意味に力んでしまう。(青山七恵『ひとり日和』) http://d.hatena.ne.jp/morio0101/20070222