「考える人」とともに帰阪

考える人 2007年 05月号 [雑誌]とっとと大阪に戻りたいのに会議の波が押し寄せてきて、けっこういい時間まで拘束される。うむむ。出発まで品川駅構内の書店で車内の友を物色した。「考える人」の春号がこちらを呼んでいたので購う。特集は「短編小説を読もう」である。表紙の写真(本棚いっぱいの小説)を見るとぞくぞくするのは変でしょうか?
丸谷才一村上春樹川上弘美らのインタビューもおもしろかったし、堀江敏幸の新作もなかなか読ませる。著名文筆家による「好きな短編3作」は各人の嗜好が興味深い。こういうのって、割と偏るのかしら。日本の作家を取り上げる人はそればかりだし、海外の作家を選ぶ人は選ぶ人で同様である。国内では内田百輭の名がよくあがっている。なるほど。海外の作家はばらついている。保坂和志だけ三作とも中原昌也を推している。理由があるのだろうが、ちょっと頭が悪そうに見える。紹介文も先の都知事選の政見放送で中指を突き立てた某候補に似ている感じがするし。閑話休題
外国のことばをよくしない私は、当然翻訳で海外小説を読むしかないのだが、どうにも訳者の解釈や文章が気になって、心から楽しむことができない。ありていに言えば、彼らのことを全面的に信頼していないのである。しかし、これがたとえば村上春樹の翻訳したものであれば、オリジナルとは別の作品として素直に没入できるのだから、そうした「文学的信頼感」とでもいうようなものは、案外大切なのではなかろうか。不遜な物言いになるが、文学の翻訳は語学力だけではいかんのじゃないかと思うのである。もちろん翻訳者の語学力を疑うものではないし、相当の努力をしていることは承知の上でなおこう感じるのだ*1
などということをつらつら考えながら読んでいると*2、あっという間に新大阪に着いた。雨に降られなくてよかった。

*1:このあたり、柴田元幸の『翻訳教室』(新書館)や『翻訳夜話 (文春新書)』(文春新書)などを読めば、翻訳の舞台裏の一端をうかがうことができる

*2:次号の特集「クラシック音楽と本さえあれば」も楽しみだ