ひめゆり

morio01012007-08-03

十三で降りないといけないのに、角田光代の『太陽と毒ぐも』(新潮文庫)なぞを読んでいたものだから、梅田まで乗り越してしまった。しかも熱中していたのではなくて、あまりのつまらなさに「なぜなんだろう」と思案していたから始末に負えない。急ぎ引き返し、上映開始時間ギリギリに第七藝術劇場に滑り込んだ。
ひめゆり*1」(柴田昌平監督)は沖縄戦での象徴的存在となったひめゆり学徒隊の生存者へのインタビューをまとめた長編ドキュメンタリー映画*2である。見終えた後、自らの不明さを恥じ、悔い、そして深く重い衝撃にひたすらうち震えた。
映画は三部で構成される。すなわち動員から看護活動に勤しむ第一部、南部への撤退から部隊解散命令までの第二部、そして解散命令後、行き場を失った学徒たちが未曾有の地獄図を見る第三部である。映像は今は齢八〇にもなろうかという元学徒たちの語りをひたすら掬い取るだけである。そこに当時の記録映像と字幕が添えられる。感情を導き煽るような音楽やナレーションはいっさいない*3。彼女らはかつての「戦場」を背景にして、自らの体験したことを包み隠さず語り続ける。息を呑むばかりの悲惨な体験を語る「ことば」は、凡百の「自称衝撃的映像」など及びもつかないリアルで生々しい恐怖を伝えてくる。
彼女たちは国や戦争そのものに対して批判的言辞を露わにすることなく、たまさか生き残ったことをひたすら詫びるような言を吐き出している。自責の念に苛まれ続ける人生を強いた戦争の怖ろしさと無惨さはここに極まる。パンフレットによると、元学徒の多くは、戦後、幼稚園から小中学校の教師になった者が多い。しかしながら、ひめゆりでの体験を十分に教え子たちに伝えられたのかどうか、それについて我々はいっさい知る由もない。ただ戦後幾度か制作された虚構の「ひめゆりの塔」に憤りを覚えたという彼女たちをして、「ひめゆり学徒の証言の集大成」と認めるこの映画は、紛れもなく後世に伝えるべき「遺言」になっていると思うのである。
今夏はあと二本*4、戦争に関する映画が公開されている。スティーヴン・オカザキ監督の「ヒロシマナガサキ*5」と佐々部清監督の「夕凪の街 桜の国*6」である。いずれも原爆にまつわるものであり、特に後者は麻生久美子田中麗奈が出演していることもあって観るつもりでいるのだが、果たして「ひめゆり」を見た後にどれだけの重みを伝えてくれるのか、少々心許なく思われる。前者は「ひめゆり」と同じく当事者の証言を中心に据えた硬派なドキュメンタリーである。
そして角田光代。物語を小賢しく作りすぎである。今時の若者言葉をちりばめたところなど、あざとくてやりきれない。

*1:ひめゆり」公式サイト http://www.himeyuri.info/

*2:1994年〜2006年にかけて撮影された

*3:冒頭のマーラー「アダージェット@交響曲第五番」とエンディングの「別れの歌」はことのほか哀切に響く

*4:あと一本あった。特攻隊の生存者へのインタビューをまとめた「TOKKO 特攻」がそれである。これも硬派だ。http://www.cqn.co.jp/tokko/

*5:http://www.zaziefilms.com/hiroshimanagasaki/

*6:http://www.yunagi-sakura.jp/index.html