振り返る村上春樹

走ることについて語るときに僕の語ること村上春樹走ることについて語るときに僕の語ること』(文藝春秋)を読み終える。あの村上が己の半生を振り返るようになったのかと感慨深く思った。村上春樹、当年とって58歳。
村上が長距離走を若い頃からの習慣としていることは、ファンの間で広く知られている*1。これまでにも一競技者としての視点からものしたスポーツにまつわる文章*2はあったものの、本格的に自分の「走り」を主題とするのは初めてのことである。
ところが、「走ることについて本を一冊書いてみようと思い立った」(まえがき)とあるのにもかかわらず、この書は村上春樹の小説家として歩いてきた道を照らし出すものになっている。結局、村上にとって、小説家であることとマラソンランナーであることは、どこまでも分かちがたく結びついているのだった。

「走る」という行為を媒介にして、自分がこの四半世紀ばかりを小説家として、また一人の「どこにでもいる人間」として、どのようにして生きてきたのか、自分なりに整理してみたかった。

あとがきではこう書くしかなかったのだろう。ここで村上の「所信表明」や「人生訓」「経験則」を彼に成り代わって披瀝しても仕方がないし、ましてやそれを批判したり感嘆したりすることもなじまない。あとは読んでいただくしかない。

たぶんこういうものを書くには、ちょうどよい人生の頃合いだったのだろう。

この一言に尽きるか。文章自体は紛れもなく正調ハルキ節。ファンには楽しめると思う。でもそろそろ新作(小説)を読ませてほしい。
余談になるが、村上のロードバイク*3には「死ぬまで18歳*4」と書いてあるとか。こんなところでも文学?

*1:ですよね!?

*2:たとえば『シドニー!』(文藝春秋)など

*3:パナソニックのチタンバイクで「羽のように軽い」とある

*4:ブライアン・アダムズの「18 'til i die」から借用したという