自虐の詩

自虐の詩 (上) (竹書房文庫ギャグ・ザ・ベスト)通天閣。新世界。飛田。映画「自虐の詩」の舞台はある面で典型的かつ類型的な大阪を想起させる。あの世間を騒がせたボクシング一家の出身地にもほど近い。
原作漫画は東池袋*1を念頭に置いて描かれているらしいから、ずいぶん思い切った舞台設定をしたものである。どうしてもあそこを使うと、物語の内容とは関係なく、良くも悪くも色がついてしまう。映画を見終えた今も、大阪でなければならない必然性を感じ取ることはできないのであるが、おそらく説明不要の存在感やイメージ*2を利用するということだったのかと睨んでいる。幻想の大阪。
また「非大阪人が大阪弁を無理に使い、それをまた別の人が真似ている」ような気色悪い台詞回しだったらどうしようかと危ぶんでいたのだが、幸い、主人公の夫婦はどちらも大阪とは無関係の土地の人間であるという設定になっていた。大阪弁を話さないことで、流れ者の二人が紆余曲折の果てにこの地に来たという悲哀感が伝わってくる。脇には完璧な大阪弁を話す俳優を配しているので、夫婦の異邦人ぶりはよけい際立つことになろう。
中谷美紀はまたしても薄幸の女性*3を演じる。貧窮生活、父親が銀行強盗、かつては売春婦、元ヤクザの妻とくれば、「嫌われ松子の一生」の松子の生き様を思い起こさずにはいられない。スーパーマン俳優のように「それ」しか演じられないことになるなどというおそれはなかろうが、なんとなく今後そういう方向で見てしまうそうになるかも。夫役の阿部寛は役自体が漫画みたいな人だから、大袈裟な立ち回りでもちょうどよい塩梅だった。
ハイスピードカメラを使ったちゃぶ台返し*4とか、できそこないの吉本のギャグのような小芝居があちこちに仕組まれている。笑えるかどうかは人によろう。中盤から後半にかけての回想シーンが長くて、少々退屈気味であったのだが、思いがけず最後にそれが効いてぐっときてしまった。主題歌は安藤裕子の「海原の月」。ワーナーマイカルシネマズ茨木で鑑賞。
公式サイト http://www.jigyaku.com/index.html

*1:どういうイメージの固着している街か、私にはにわかに想起できないけど

*2:ご想像にお任せします

*3:幸せがどういう形かは人それぞれだから薄幸と決めつけるのはよくないかもしれない、と念のために逃げておく

*4:この漫画の肝であるとか