漫画で日本文化

morio01012007-12-05

朝日新聞@ネット版で「フランス人『日本熱』 来日者数10年で倍 漫画で関心*1」という記事を読んだ。そうか、フランスかなどと思いながら、昨年の秀作「かもめ食堂」には日本かぶれのフィンランド青年が出ていたことなどを思い出す。ガッチャマンの歌とかサムライ・スピリッツとか。
日本の漫画に関わる興味深い論考*2を最近読んだ。漫画のキャラクターのことばと姿の関係を論じるものである。簡単にまとめると、漫画に登場するキャラクターの容姿や言葉遣いは、日本の文化や歴史、社会制度などを背景にして、性別、年齢、職業、階層などのカテゴリーと分ちがたく結びついているとする。たとえば言葉遣いでは、博士はいつも「ワシが博士じゃ」と言い、お嬢様は「ひろみ、それでよくってよ」と言い、偽中国人は「これ、おいしい、あるよ」と言う。現実にはそうでなくても、我々はなんとなくステレオタイプ的な話体を各カテゴリーに結びつけているとおぼしい。これは漫画の世界に限らず、現実でもそうであろう。
また容姿についても同様で、国籍や出自、職業や階層に応じて、典型的な容姿が与えられるとする。先の論考では「サイボーグ009」を俎上に載せ、ヨーロッパ、アメリカ、アフリカ、アジアという出身地によって、明確に描き分けられていると指摘する。総じて文明国人は八頭身で、そうでない国の人は巨人だったり、短足の小人だったりする。主人公は日本人であるが、ヒーローらしく西洋人化されて描かれる。職業も超能力者、バレリーナ、哲学者、俳優といったヨーロッパの人々に対し、アフリカ出身者は元奴隷*3、中国人は料理人で、ネイティブアメリカンは怪力かつ寡黙なカウボーイであった。思い切り偏見が入っている。
このように、長年にわたって醸成されたステレオタイプによる言語や容姿は、漫画のようなポピュラーカルチャーによって拡散され、「日本語を使う人々」の精神に大きな影響を与えてきたとおぼしい。翻って、最初の新聞記事。海外の多くの人が関心を寄せるらしい日本の漫画のすべてが、必ずしもこうした性質を持っているとは言えないだろうが、少なからず「ああ、ふむふむ」と思い当たるものがあるのも確かである*4。彼らには作品を作品として楽しむだけでなく、期せずして露に曝け出している「典型化という罠」にも気付いてもらいたいなぁなどと、真夜中に思ってみたりしたのだった。
そんなことをしていないで、早く寝なさい>自分。

*1:http://www.asahi.com/culture/update/1205/TKY200712050217.html

*2:金水敏「近代日本マンガの言語」(『役割語研究の地平』くろしお出版、2007年、所収)

*3:この人は言葉遣いも方言で話し、辺境性が強調される

*4:斎藤美奈子の『紅一点論』(ちくま文庫)は漫画やアニメにおける女性キャラクターの存在について興味深い考察を行う。また張競『美女とは何か』(角川ソフィア文庫)もこれらに関わる問題を扱っている。両書とも手に入れやすい。ついて見られたい。