靖国

morio01012008-05-22

見終えて戸惑いをおぼえた。それは映画で描かれた事実の重みにうちのめされた戸惑いということではなく、これだけで終わりなのという空虚な戸惑いである。靖国神社の存在やそれを巡る国内外の諸問題を考えるきっかけになるほどの映画かどうか。
画面に次々に登場する奇々怪々な人々のパフォーマンスに圧倒されることはあっても、彼らがなぜそこまでするのかというところまでは見えてこない。またいまもなお靖国刀を作り続ける刀匠の仕事ぶりやインタビューが差し挟まれるけれど、寡黙な老人は結局謎めいた微笑みを見せているだけで、胸の内を何一つ言葉として語ることはない。
要するにまったく「裏側」を描かない映画なのである。李纓監督があえてそうしなかったのであれば、それはそれでドキュメンタリー映画に対する一つの見識を示したということであろう。しかし、たとえば、昨夏公開された「ひめゆり」の圧倒的なまでの「裏側」の証言の数々に対峙させられた者としては、この非日常的祝祭空間の表面だけをなぞったように見える「靖国」の微温的なありようは、いかにも心許なく感じられるのである。映画公開後に聞こえてきた「そこまで問題視する映画なのか」という世評も、おそらくこのいまひとつ煮え切らない部分から来ているのだと思われる。
靖国問題のなんたるかは鑑賞する者がみずから補完する形で学習しなければならない。そうした自助努力を促す触媒としてのみ機能することを、自身の存在価値とするのであろうか。いずれにしても靖国神社に関する知識や認識、判断なしでは、この映画の本質はまったく見えてこないだろう。それこそ奇矯なる人々を映してみせただけの、後味の悪いスラップスティックコメディに堕してしまう恐れすらある。
パンフレットの出来は非常によい。映画の解釈のための補助資料として秀逸である。パンフレットで主義主張を明確にするのであれば、どうして映画ではそれが伝わるようにしなかったのだろう。大きな問題に取り組む志の高さは確かに感じられるだけに惜しいと思う。渋谷シネ・アミューズで鑑賞。
公式サイト http://www.yasukuni-movie.com/