あの子は理解不能

あの子の考えることは変今期の芥川賞受賞作品の掲載されている「文藝春秋」を買ってきた。受賞作を読むのも楽しみだが、それ以上に選考委員による選評がおもしろおかしくてやめられない。なにしろかつて芥川賞を受賞した人たちが、自らの文学観を賭けて、新進作家の作品と対峙しているのである。温かく見守ろうとする人、あからさまに敵意をむき出しにする人、上から目線でしかものが言えない人*1など、対象を評しつつ、実は評す側の人間性みたいなものが自然と滲み出ている。
本谷有希子の『あの子の考えることは変』を9人はどう評しているのか。煩を厭わず引用する。

  • 山田詠美…加速度の付いた会話のやり取りがおもしろかった。しかし、それは目で読むおもしろさのような気がする。読んだ側から言葉が消えて行ってしまい、印象に残らない。日田の気持の悪さは秀逸だが、境界例の不思議ちゃんの話には、もう辟易。
  • 小川洋子…あとの三作品*2は、私にとっては少々にぎやかすぎた。自分はこんなにも普通でない人々を描けるのだ、と声高に叫ばれると、それだけで白けてしまう。過剰なサービスに疲れてしまった、とも言える。
  • 石原慎太郎…言及なし
  • 黒井千次本谷有希子氏の「あの子の考えることは変」は、同居する二人の若い女性が周囲にあるものに対して能動的、積極的、攻撃的に挑む姿勢に好感を抱いたが、その生理スピードの底に残るものをもう少し見せてほしいと感じた。
  • 高樹のぶ子…(小説が書かれる目的は「人間に触れる」ことという前置きあり) この基準で今回の候補作を読むと、一番はっきりと人間に触れることが出来たのは、「あの子の考えることは変」だった。ただこれは受賞作には押せなかった。会話が反射神経で書かれていて文学の会話というより、舞台上の台詞に近い。AとA’の二人の女性でなくAとBであったならもう少し広い世界をつかまえる事が出来たのではないか。非社会性でなく、反や超がつけば、この悪臭に満ちた女性たちが、文学としての魅力を持ったのに残念。
  • 川上弘美…『あの子の考えることは変』は、よく書いている。活力ある書き手だと思います。ただ、主人公二人の「変」さがあまりに堅固なような気がするのです。その堅固さを維持するために、どこかに無理がいっているという印象を持ってしまいました。
  • 宮本輝…私は戌井昭人氏の「まずいスープ」と本谷有希子氏の「あの子の考えることは変」に、他の候補作よりも少し高い点をつけた。どちらも、読ませるということにおいては手練で、登場人物たちがみな行間から立ち上がっている。文字どおり面白く小説が進んでいく。しかし、それだけなのだ。文章としてあえて書かれなかったものが読後に浮き出してはこない。これは文学として致命的欠陥といえる。しかし、本谷氏独特の才も、戌井氏の技量も、どこにでも転がっているものではなく、新し書き手としての跳躍力は横溢している。
  • 村上龍…言及なし
  • 池澤夏樹…言及なし

好意的に見えるのは高樹、川上、宮本の3人だが、いずれも褒めた後に注文を忘れていない。黒井と山田は微妙。微温的な作品を得意とする小川は生理的に受け付けないらしい。なるほどね。石原、村上、池澤のお偉方はやはりというべきか、まるで無視である。山田や高樹、宮本らの評の言外に「劇作家の分を守れよ」というような臭いを感じるのだが。これでは受賞できないね。上述の通り、委員たちの作品と本谷の作品を比べると、この反応は実に興味深いといえよう。
他の作家への評言も深読みできておもしろいので、小説に関心のある方、ぜひ書店で立ち読みでもしてみてください。

*1:それが誰かはすぐにわかると思う

*2:本谷のもここに入る