東山の秘仏を巡る

morio01012009-11-27

小春日和の京都へでかけてきた。東山方面の古刹でいいものを見せてもらう。

夏に訪れたばかりの六波羅蜜寺へ赴く。京都駅から東山方面行きのバスに揺られて、というか、乗客が多すぎて身動きも取れないほどである。秋の京都をなめてはいけない。清水寺を目指す観光客とともに五条坂で下車する。人波が坂の方に向かう中、私一人が反対方向へ。歩くこと約10分で目的地に到着する。改修中だった夏とは違い、工事の覆いもすべて取り払われて、晴れ晴れとしていた。
本堂に安置される十一面観音像(平安、国宝)は開創者である空也上人自ら刻んだものとされる。寺のパンフレットにも写真が掲載されない秘仏である。本来ならば十二年に一度、辰年にご開帳されるところ、「西国三十三所中興花山法皇壱千年御遠忌記念特別御開帳法要厳修*2」ということで、特別にこの一週間だけ公開されている。秘匿されてきた仏だけに身に纏う金箔も美しく、華やかな印象を色濃く残している。境内にある鋳造の新しい十一面観音像はおそらくレプリカだと思われるが、そこから察するに平安の仏様らしくバランスのよいすっきりとしたプロポーションである。宝物館の空也上人、地蔵菩薩平清盛弘法大師、運慶、湛慶らにももちろん挨拶してくる。

六波羅蜜寺から少し南に下ると、河井寛次郎記念館がある。柳宗悦濱田庄司らとともに「民藝」の思想運動を展開した陶芸家の住居、工房が記念館として開放されている。京都の町屋を河井の設計で改築している。初めて訪れたが、たいへん趣があって素晴らしい。何時間でもこの場所にいたいと思わされる魅力があった。邸内の河井の作品は自由に触ることができる。写真も受付で申請すれば、自由に撮らせてもらえる。喫茶室でも併設されていれば、きっと足繁く通ってしまうだろう*4。ここの飼い猫シマちゃんがまた可愛らしい。猫好きだった河井の屋敷に住む猫。いいなぁ。展示物は定期的に入れ替えるそうだから、いずれ機会があれば再訪したいと思う。

泉涌寺への参道の途中にある同寺の塔頭である。この寺の丈六釈迦如来立像(重文)は運慶湛慶父子の合作である。彩色も褪せることなく残り、その大きさ(約5.4m)ともあいまって立派な貫禄を感じさせる仏様である。拝観料は取らない。ただ見張り役(?)のご婦人が「ここは観光の寺ではないのでちゃんと拝んでください」と何度も繰り返しているのがちょっと興を削ぐ。もちろん仏像が本来信仰の対象であることを鑑みれば当然のことではあるのだけれど、その声高に注意する声が祈りを妨げているような気がします……。

さらに参道を進むと、今熊野観音寺がある。ここでも秘仏を期間限定で公開している。身丈一尺八寸、弘法大師作と伝えられる十一面観世音菩薩である。志納料を収め、間近で見ることができた。ピカピカである。さすが秘仏。50センチほどの小さな仏様を穴が空くほどじっと見つめる。なんでも「当山のご本尊は、頭の観音さま、枕元に立たれる観音さまでございます」ということで、この寺の特別授与品は枕カバーである。それはあんまりじゃないですか。境内の色とりどりの紅葉が見事だった。

古くから皇室との関係の深かった泉涌寺には、有名な楊貴妃観音像(重文)がある。中国で作られたものが鎌倉初期に創建者の湛海律師によって持ち帰られたのだという。遠目かつ暗い中に置かれた楊貴妃のご尊顔は、残念ながらはっきり見えない。見事すぎる宝冠もしかり。しかたがないので、壁に貼られたポスターで細部を確認する。なんだか。御利益は「美人」だそうだが、あまりにもストレートすぎる煩悩への対応に、俗っぽい臭いがプンプンする。仏殿には伝運慶作の三尊仏(釈迦、阿弥陀、薬師)が安置される。天井と後壁には狩野探幽の描く龍と白衣観音像がある。ある意味、オールスター。当時の勢力と財力をうかがわせる。
東山の東南一帯は「とりべの(鳥辺野・鳥戸野)」と呼ばれ、昔から京都の人たちが葬られる場所としてよく知られている。清少納言の父清原元輔の屋敷があったのもこのあたりだという。およそ四半世紀ぶりに訪れたかつての葬送の地は大勢の観光客で埋め尽くされているのであった。私もその一人ですが。
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