理解ではなく感じろということか

morio01012010-05-23

オーチャードホールで「オブセッション*1」という舞踊を観てきた。
妄想や固定観念、強迫観念などという「何かに取り憑かれた状態」を身体表現によって演じる。正直に言って、何をどう言葉に置き換えたらよいのか、私にはよくわからない。それでもサイバーな大音響ノイズやリリカルなクラシックの旋律に乗せて繰り広げられる、勅使川原三郎*2と佐東利穂子の激しく情緒的な身体の動きは、尋常なものではないということは理解できる。
おそらく演者自身の語る言説にすがりながら、彼らのパフォーマンスを意味づければいいのだろうが、たった1回の鑑賞でどうこう言えるような代物ではない。そこここに配置される小道具や意味ありげに明滅する照明など、すべてが象徴的な存在として舞踏と共鳴し合っている。背景に投影される影がことのほか素敵であった。静かに身をゆだねるという種類のものでない。「あなたはこれをどう見る」と問われ続けているような一時間だった。

男と女の身体がひび割れ 反転し 振動し激しく亀裂が走る
結晶になる身体 春という季節の中 無邪気なほどあっけなく
当たり前の意識を引き裂く偏愛 深い感情の不可能な音楽物語(勅使河原三郎)

フランスの新進ヴァイオリニスト、ファニー・クラマジランの演奏が出色の出来映えだった。ついでに言うならビジュアルもよろし。
夕方からルーニィでTokyo Pinhole Todayの搬入、設営作業があった。いよいよ明後日から始まる。