あまたの年賀欠礼

2週間、3週間ぶりに大阪に戻ってくると、けっこうな数の郵便物が溜まっている。たいていはダイレクトメールのようなどうでもよいものなのだけれど、その中にとても大事な郵便が紛れていたりして慌てさせられる。
今日も帰宅後にまずそれらをチェックすると、十通ほども年賀欠礼の葉書が届いていた。今年一年で知り合いの中にそれだけの不幸があったという事実に驚くばかりである。30歳前後の頃に結婚のお祝いラッシュに見舞われたのと同じく、そろそろ親の世代をなくす歳になってしまったのだ*1
幾度となく読み返してきた村上春樹の『ノルウェイの森』の有名な一節、「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。」を、空疎な観念ではなく手応えのある実感をもって感じられるようになってきた。しみじみと。

*1:私自身も昨年父を亡くしたわけだし