孤族の国
朝日新聞が26日から連載している「孤族の国」が強烈である。諸般の事情から一人で生きていくしかなくなった人たちの末路あるいは今が冷徹に記事にされている。ネットでも一部を読むことができる(リンク先、追加しました)。
- 55歳、軽自動車での最期 「孤族の国」男たち―1
- 還暦、上海で婚活したが 「孤族の国」男たち―2
- 失職、生きる力も消えた 「孤族の国」男たち―3
- 39歳男性の餓死 「孤族の国」男たち―4
- 彼は無表情だった 「孤族の国」男たち―5
- 少女のような目の母と 「孤族の国」男たち―6
ここに登場する人たちについて語る気持ちも資格もない。ただこういう事態がいつでも起こりえる国に住んでいるということだけは確かで、それは明日の自分のことでもあるかもしれないのだ。すべてのことが図と地のようにいつ反転してもおかしくない。何があっても「自己責任」の一言で片付けられてしまう国、それを思うと恐ろしくなる。だからこそ一時の夢を見るかのごとき儚い「リア充*1」なることばが流行るのかもしれない。
やりきれない閉塞感を味わいながら、今年も残すところあと2日。
*1:現実の生活が充実している人物あるいはそのような状態