液晶絵画

中之島の西の果てにある国立国際美術館*1に行ってきた。現代美術を中心に収集、展示するこの美術館では、「液晶絵画」と題する展覧会が開催中である。国内外の15人の作家が、文字通り「スクリーン」や「液晶パネル」をキャンバスに見立て、静止画と動画を先鋭的に「一枚の絵画」として融合させる試みを披露している*2

 ビデオの技術は、視覚文化に大きな影響を与えてきました。1960年代に登場したビデオ・アートもその一つで、ナム・ジュン・パイクをはじめとするビデオ・アーティストたちは、映画とはまったく異なった映像の可能性に注目し、ビデオならではのさまざまな実験的作品を試みてきたのです。
 当初のビデオ・アートにはブラウン管のモニターが、1980年代以降には壁面に映像を投影するプロジェクターが用いられ、さらに近年では平面ディスプレー装置による作品が登場してきました。本展は、そうした技術的な革新とも密接に関係しながら展開してきたビデオ・アートが、いま新たに開きつつある一頁を、プロジェクターに加えて大画面の液晶ディスプレーによる作品によって紹介しようとするものです。
(同美術館のサイトに掲出されているイントロダクションより)

現代美術の常として、すべてがすんなりと理解できるわけではない*3。なぜそれがそこにあるのか、それを映し続けることにどんな意味があるのか、さらには画面に展開する事象そのものが不明など、そのわからなさこそがこれらの作品の勘所であると言わんばかりの難解さである。しかし、「動く絵画」の置かれた空間そのものをインスタレーションと考えて、そこに繰り広げられるものに思考停止状態で身を委ねていると、やがて作品に応じたプリミティブな感情の揺れが感じられる*4。現代においては「享受者こそが王様」であるから、そこから何を読み取ってもよいはずである。作者の意図や考えを忖度する傲慢さはひとまず忘れて、自由に楽しんできた。いや、それしかできないんだけど。
千住博日本画風デジタル屏風や森村泰昌の偽フェルメールサム・テイラー・ウッドの朽ち果てていく静物画、アンビエント・ミュージックに泳ぎながらイメージを明滅させるブライアン・イーノ、中国河北地方の犬の生活をマルチスクリーンで再現する楊福東などが強く印象に残った。
閉館まであまり時間がなかったのが残念である。もしこれから足を運ばれる方は、ぜひ余裕を持って鑑賞なさることをお勧めする。どれも時間を含んだ絵画ゆえ、ちら見ではすまないから。
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*1:http://www.nmao.go.jp/japanese/home.html

*2:協力する企業は、シャープ、エプソン、ボーズである。それぞれの提供しているものがなにか、はっきりわかりすぎである

*3:もちろん個人差はある

*4:快も不快もある