賢くなって物足りない

morio01012008-09-16

イタリアに行っている間にiPhoneのアップデートがあった。向こうでそのことを知ったけれど、異国の地で強引に取りかかって大惨事になってもつまらないので、日本に戻ってからすることにした。で、かけた。
  劇的にとろくさかった日本語入力がものすごく快適になった。
なにより予測変換で腹を抱えて笑うというか、頭を抱えるしかないようなとぼけた候補が、ほとんど出なくなった。つまりまともな機械に少し近づいたということだ。めでたいけれど、物足りない。賢くなったのに物足りないとはどういうことか。この感覚は以前にも感じたことがある。
奇妙奇天烈な語釈で「読む辞書」としての地位を確立した『新明解国語辞典』が、版を重ねるたびに没個性的な説明になっていった寂寥感、あの感覚だ。もはや9月5日付「木村カエラはこむら返り」で書いたようなのは出てこない。iPhoneに何を期待しているのかとも思うけれど、共感してくれる同志は少なくないはずだ。
とはいえ、時に激烈に遅かった変換もなくなったようだし、喜ばないと罰が当たるだろう。ひとまずGJと言わせてもらおう。
アプリも以前のがバージョンアップして使いやすくなっているし、新しく面白いものも次々とリリースされている。Wi-Fiで繋がる記憶媒体になる「Air Sharing」や、はてなに投稿できる「はてなtouch」などの実用的なもの、テルミンやギター、ウクレレなどの楽器に化けるお楽しみものなどを追加してうはうはしている。「食べログ」「30min」「Hot Pepper」などの情報取得ものも至便である。ますます賢くなる私のたるび*1
#9月9日の日記(ベネチア一日目)を書きました。

*1:他にも電波を捉まえる力が強くなっている=アンテナがいっぱい立つ