幻と呼ばれるものを見に行く

morio01012009-10-24

東京から帰阪の途中、宇治に立ち寄ってきた。宇治市源氏物語ミュージアム*1で展示中の「幻の写本」を見るためである。
宇治駅に降り立つと、8月の時とは違って、観光客の数がぐっと増えている。何かスタンプラリーのような催しも行われているようで、台紙を手にした老若男女が群れをなして歩いていた。目指す源氏物語ミュージアムもスタンプポイントの一つになっており、建物からは順番を待つ行列が長く伸びていた。源氏物語ミュージアムには開館直後に来て以来だから、およそ10年ぶりのことになる。昨年の源氏千年紀に合わせてリニューアルしたようであるが、以前の記憶がほとんど薄れてしまっているので、どこが大きく変わったのか、よくわからない……。
館内はそれなりの賑わいを見せている。まずは「橋姫」(山崎雅史監督)と題される宇治十帖のダイジェスト映画を観る。以前は人形師ホリ・ヒロシの手になる「浮舟」という人形劇映画を上映していたのだが、今はこれに変わったようである。しかし、これがおそろしく退屈でつまらない。しかも源氏物語の筋がわかっていないことには、何がなにやらさっぱりという代物である。「誰かわからない」「眠かった」「つまらない」という声があちこちから聞こえてくるのも当然だと思う。緒形直人のナレーションも酷いし、大仰な台詞回しをする俳優たちの大根ぶりも見るに堪えない。早々に入れ替えるなりしないと、源氏物語自体がつまらないものだと誤解されることになるだろう。
げんなりしながら、目玉である大澤本の展示室に向かう。源氏物語の数多ある写本の中でも、昭和初期に池田亀鑑が調査したきり、行方知れずになっていた伝本である。しかも伝来や本文の質に注目すべき点が多々あり、あだやおろそかには扱えない一本である。「幻」として褒めそやされる所以である。
入り口すぐのパネルに源氏物語の本文の現状についての実に適切な解説文があることに感心する。現物は全54帖がすべて展示されている。開いているページしか読めない憾みは残るけれど、調査をしているわけではないから致し方がない。保存状態も良好で紙面から感じられる品や格もなかなかのものであると思った。一刻も早く全巻の複製か翻刻が公のものになることを期待する。
冷泉家を特集する「芸術新潮 2009年 11月号 [雑誌]」と「聖☆おにいさん」第4巻を購う。
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