奈良佐保路の古刹巡り

morio01012009-11-09

近鉄新大宮駅で降りるのはいつ以来か。この地にそごうがあった時代に百貨店内の豪華な美術館に来たことがある。おそらくその時以来、というか、それ以外では来たことがない。
奈良の中心部から少し西に位置する佐保の地にある三観音寺が、秋の特別公開*1を催している(10/24〜11/12)。どうしても見てみたかった法華寺の観音様が公開されるので、勇躍やってきたのである。
法華寺*2聖武天皇の后である光明皇后が建立した国分尼寺である。この寺には秘仏、十一面観音立像(平安前期、国宝)がある。光明皇后自身の姿を模したとされ、木彫仏像の最高傑作とも言われる。駆け込むように本堂に入り、さっそく観音と向き合う。そして唸る。柔和でふくよかな面つき体躯、少し腰をひねり、右足を軽く踏み出すもの静かな姿からは、たおやかで優美な動きが感じられる。遠くの衆生を救うための右手は膝頭くらいまでの長さがある*3。エ、エヴァ? 明治に修造された光背は蓮の花と葉が交互につけられる蓮華光背と呼ばれるもので珍しい意匠である。ぱっと見はポテトチップスのごとし。奈良の古仏らしい自由で伸びやかな造形がすばらしい。この独特の存在感、阿修羅や弥勒菩薩クラスのスーパースターと言ってもよい。この前で小一時間過ごす。
境内の慈光殿にある阿弥陀如来図(天平、国宝)も見応えがあった。死を迎える光明皇后の枕上にあったとされるものである。阿弥陀如来の左右には勢至菩薩観音菩薩童子らが付き従っている。眼福。
DSC00261一つ目ですでにお腹がいっぱいになりかけているが、次を目指す。
法華寺の北隣に居を構える海龍王*4。あまり手を入れず、いい感じにくたびれている寺であった。ここにも昭和二十三年まで非公開であった十一面観音像(鎌倉、重文)がある。長く開かれることがなかったため、当初の金箔や彩色が損なわれずに残っており、これもまたたいへん美しい。光明皇后が制作に関わった仏像をもとに鎌倉期に作られたという。法華寺の十一面観音像に負けず劣らず、よい表情であった。金属製の装身具も損なわれることなく、身に纏った状態で残っている。わずかな振動、あるいは風のそよぎによって、揺れているのが印象的であった。奈良前期に造られた五重小塔(国宝)も見る。意義深いものらしいが、いまいちビジュアル面でインパクトに欠ける憾みが残る。そういう見方をするのは邪道だとは思うのだけれど、致し方なし。
あと一つ。不退寺*5は、伊勢物語で知られる在原業平が建立したとされる寺である。別名業平寺。幾度かの火災などで、現在は南大門、多宝塔、本堂だけが残っている。江戸時代に描かれた業平図は秘宝で、年に一度だけ業平忌の際に開扉されるらしい。絵自体はいかにも江戸的な描きようであまりおもしろみがなかった。一方、仏像群はいい塩梅だった。本尊聖観音菩薩像(平安、重文)や明王像(同)などが本堂に集められている。聖観音菩薩像は桂の一木彫で、胡粉を塗り固めた上から極彩色の彩りがなされていたという。現在は剥落が進み、木地が現れてしまっている。法華寺、海龍王寺に比べて訪れる人も少なく、密やかな寺であった。有り体に言えば、非観光的である。訪問者があると、寺務所から人がやってきて、本堂の説明をしてくれた。本堂の中に伊勢神宮を模した社のあるのも珍しかった。
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三寺とも京都の寺とは違い、隅々まで手入れされているという風情ではない。しかし、野趣あふれる力強さは確かに奈良の寺のものであり、この点については京都のよくするところではない。今日もいいものをたくさん見せてもらいました。

*1:佐保路の三観音.pdf http://www.kairyuouji.jp/event/pdf/091009kannon.pdf

*2:法華寺 http://www.hokkeji-nara.jp/

*3:長い手は三十二相八十種好の一つ。

*4:龍王寺 http://www.kairyuouji.jp/

*5:不退寺  http://www3.kcn.ne.jp/~futaiji/